歯科医師 野川 世理子Yoriko Nogawa

野川 世理子

誕生日

4月30日生まれ

血液型

B型

動物占い

人気者のゾウ

出身地

山形県天童市

患者さんへのメッセージ

通いやすい歯科医院を目指しています。お痛みやご不安をお持ちの患者さんに 誰よりも分かりやすいご説明と丁寧な診療をご提供することを日々心掛けております。お気軽にご相談ください。たくさんの方の幸福(口福)に携われるように精進していきます。

尊敬する人

稲森和夫さん
理事長佐々木琢哉先生

好きな言葉

一期一会

趣味

編み物、海外旅行(コロナ前)

診療得意分野

小児予防矯正
インビザライン担当

仕事に対するモットー

常に患者さんに、スタッフに誠実に対応することを心がけています。
相手の立場に立って考えることを大切に、仕事を行うようにしています。

患者さんに言われてうれしかった言葉

「先生に出会えて人生が変わりました」
長い期間をかけて治療をすべて終えた患者さんに頂いた言葉です。
あきらめずに通えたのは先生のおかげです、と言われた言葉は私の宝物です。

幼少期エピソード

小さいころからインドアで、静かに一人でおままごとごっこを黙々としている子でした。人前に行くと親の後ろに隠れてしまう人見知りだったようです。今では考えられないことですが・・(笑)

中学校高校エピソード

中学校は本当に普通の学生でした。小学校から習っていたピアノに一時没頭し、いずれは音楽家?と考えたこともありました。

またピアノと同じくらい好きだったものが手芸(フェルト・編み物)でした。このころから細かい手先を使うものが得意というか好みでしたので、歯科医師も手先を使う仕事ですので、その頃から自分に合う職業だったのかもしれません。

高校では中学と一転、部活に全力を尽くしました。部活はコーラス部です。休みなく練習に参加し、1年生の時には全国大会にも出場できました。ピアノも高校3年生まで続けて、音楽漬けの3年間でした。高校3年生の時には生徒会のお仕事もしました。そのおかげで卒業式に卒業生代表の挨拶も行い、今ではとても良い思い出です。高校生活は私にとってとても刺激の多い3年間でした。

社会人になってから

高校生活は音楽漬けでしたが、大学は歯科大学を選び今に至ります。
何故歯科医師を選んだか?は理系教科が好きだったこと、そして子供の時から歯が弱くたくさんお世話になった歯科医師に興味を持ち、国家資格という点も決め手でした。
晴れて歯科医師になってからは2年半卒業大学の研究室に残り研鑽を積みました。
本当は大学院に行きたい願望が強かったのですが、山形に住む両親の強い希望で故郷山形に戻り、その後一般歯科医院に勤務しました。大変勉強になりお世話になりましたが、体調不良と何かもの足りなさを感じ退職。新たな勤務先を探して
いるときに理事長と出会い、今日に至ります。
私の人生の大きなターニングポイントです。

この医院を選んだわけ

新しい勤務先を探す中で、これから一緒に何かを作り上げられる医院が理想でした。 その点彩優会は希望通りでした。開業スタートと同時に入社できたからです。それまでの診療技術だけでなく、医院運営や新たな診療技術・知識を得る機会が増え、自分の理想とする勤務先になりました。

休日の過ごし方

コロナ前は年に1・2回行く海外旅行を楽しみにしてきました。

しかし、コロナ禍はそれが叶わず残念でした。しかし、コロナ禍にできたこと、それはオンラインセミナーを受けることです。それまではセミナーを受けるのに東京までの移動もあり、なかなか参加できませんでしたが、オンラインセミナーが
主流になると一転、休日はセミナー受講にいそしみました。

プライベートではやはり子供時代から続けている編み物をすることが多く、最近はこちらもオンラインセミナーで腕を磨いているところです。

どんな人間になりたいか

常に相手の立場になり、誠実に丁寧に対応する人間になりたいです。今、この状態ならばベストな行動は何か?を素早く判断できるようになりたいです。経験年数ではベテランと呼ばれる立場ですが、まだまだ精進してまいります。